これまで見てきたように、財務省や官僚機構が大きな力を持っているとすると、「じゃあ、選挙で選ばれた政治家たちは、何もしていないの?」と疑問に思うかもしれません。もちろん、すべての政治家が官僚の言いなりになっているわけではありません。中には、本気でこの国の仕組みを変えようとしたり、財務省の方針に 真っ向から「ノー」を突きつけようとしたりした政治家 もいました。
例えば、国民の生活を良くするために、もっと国がお金を使うべきだ( 積極財政 )と主張したり、おかしな天下りの慣行を厳しく批判したり、官僚が持っている権限の一部を政治家に取り戻そうとしたりする動きです。特定の政策について、官邸(総理大臣とそのスタッフがいる場所)がリーダーシップを発揮して、省庁の壁を越えて物事を進めようとすることも、「 官邸主導 」と呼ばれ、これも官僚機構への一つの「抵抗」と言えるかもしれません。
また、民主党政権時代(2009年~2012年)には、「 事業仕分け 」という取り組みが行われました。これは、国の事業に無駄がないかを公開の場でチェックし、予算を削減しようとしたもので、官僚が長年続けてきた事業のあり方に疑問を投げかける試みでした。このように、 政治家が主導権を握り、官僚機構に切り込もうとする動き は、これまでにも度々見られたのです。
しかし、残念ながら、こうした政治家による「抵抗」や「改革」の試みの多くは、 途中で骨抜きにされたり、十分な成果を上げられないまま終わってしまったりする ことが多いのが現実です。なぜでしょうか?
一つには、官僚機構、特に財務省が持つ情報の力や、長年かけて築き上げてきたメディアや経済界とのネットワークが非常に強固だからです。改革を進めようとする政治家に対して、財務省は「そんなことをしたら財政破綻する」といった情報を流して世論の不安を煽ったり、メディアを通じて巧みにネガティブキャンペーンを行ったり、あるいは与党内の他の議員に働きかけて改革の勢いを削いだりする、といった 様々な「抵抗」を試みる と言われています。
また、政治家自身にも限界があります。大臣などの重要なポストに就いても、数年で交代してしまうことが多く、 専門知識や経験が豊富な官僚と長期的に渡り合うのは容易ではありません 。さらに、自分の選挙区の有権者の声や、所属する政党の方針なども考えなければならず、必ずしも国民全体の利益だけを考えて大胆な改革に踏み切れるとは限りません。
そして、非常に残念なことですが、中には財務省に取り込まれてしまい、 改革の旗を降ろしてしまう政治家 もいるかもしれません。あるいは、財務省の意向に沿うような発言をすることで、将来の出世やポストを期待するような動きも考えられます。国のトップであるはずの総理大臣でさえ、財務省の意向を完全に無視して政治を行うのは極めて難しい、というのが現実なのかもしれません。例えば、ある総理大臣が「日本の経済はギリシャ(過去に財政破綻した国)よりも悪いかもしれない」といった趣旨の発言をしたことがありましたが、これは財務省が長年主張してきた「財政危機論」を、 国のトップが追認してしまった と解釈することもでき、大きな波紋を呼びました。
「 消費税 」は、私たちの毎日の買い物にかかってくる税金なので、とても身近な存在ですね。財務省は長年、「 少子高齢化が進む中で、社会保障(年金、医療、介護など)のお金が足りなくなるから、消費税を引き上げる必要がある 」と説明してきました。確かに、社会保障制度を維持していくことは非常に重要です。
しかし、この説明にはいくつかの疑問点があります。まず、消費税は、所得の低い人ほど負担が重く感じられる「 逆進性 」という性質を持っています。景気が悪い時に消費税を引き上げると、国民の消費がさらに冷え込み、経済全体がますます悪くなってしまう危険性があります。実際に、過去の消費税増税がデフレ(モノの値段が下がり続ける不景気)を深刻化させたという指摘も多くあります。
そして何より、「管理通貨制度」の考え方からすれば、 社会保障のためのお金は、必ずしも消費税だけに頼る必要はありません 。国が必要なだけ国債を発行して(つまり、新しいお金を供給して)賄うことができるはずです。「消費税がなければ社会保障が破綻する」という説明は、国民に増税を受け入れさせるための、ある種の「脅し」や「プロパガンダ」ではないか、という厳しい見方もあります。実際には、消費税収の一部が、法人税(企業が払う税金)の減税分の穴埋めに使われてきたのではないか、という分析すらあります。
消費税増税の決定は、しばしば大きな政治的議論を巻き起こしますが、その裏では常に財務省が「増税やむなし」という世論を作り上げ、 政治家をその方向に誘導してきた のではないか、という疑いが持たれています。
安倍晋三元総理が進めた経済政策「 アベノミクス 」は、「三本の矢」と呼ばれる大胆な政策を掲げました。その中には、「大胆な金融緩和(日本銀行がお金をたくさん供給すること)」や「機動的な財政出動(国が公共事業などにお金を使うこと)」が含まれていました。これは、長引くデフレから脱却するための、一見すると正しい方向性の政策に見えました。
しかし、結果としてアベノミクスは、期待されたほどの成果を上げられず、デフレ脱却も道半ばで終わってしまった、という評価が一般的です。なぜでしょうか?その大きな理由の一つとして、 「第二の矢」であるはずの財政出動が、財務省の抵抗によって常に規模が小さく抑えられてしまった ことが挙げられます。財務省は、伝統的に国の借金が増えることを極端に嫌う「 財政均衡主義 (収入と支出のバランスを重視する考え方)」に立っています。そのため、アベノミクスで大規模な財政出動が計画されても、「財源がない」「国の借金がさらに増える」といった理由で、その規模を縮小させたり、効果が出る前に消費税増税を強行したりしました。特に、 アベノミクス期間中の消費税増税(2014年、2019年)は、せっかく上向きかけた景気の腰を折り、デフレ脱却を決定的に遠のかせた と多くの専門家が指摘しています。
これは、総理大臣官邸が主導する政策であっても、 財務省が本気で抵抗すれば、その効果を大きく損なうことができる という現実を示しているのかもしれません。「最強官庁」と呼ばれる財務省の面目躍如、と言える皮肉な結果です。
経済政策の中には、私たちの常識からすると「なぜそんなことを?」と首をかしげたくなるようなものが時々見られます。例えば、日本が長年苦しんできたのはデフレ(モノの値段が下がり、経済が縮こまる状態)です。デフレから脱却するためには、世の中にお金が出回りやすくする必要があります。それにもかかわらず、日本銀行が 利上げ (お金を借りにくくする政策)の可能性を示唆したり、実際にわずかながらも利上げに踏み切ったりすることがありました。これは、 デフレを悪化させかねない、経済学の常識からは考えにくい政策判断 です。こうした動きの背景には、政府(実質的には財務省)の緊縮財政路線に、独立しているはずの日本銀行が忖度しているのではないか、という疑いの目が向けられることもあります。
また、新型コロナウイルス感染症という、世界中が直面した未曽有の危機においても、日本の財政出動は諸外国に比べて規模が小さいと言われました。多くの国民が生活に困窮し、企業活動も大きな打撃を受ける中で、財務省は「 財政規律 (国の財政を健全に保つという考え方)」を盾に、十分な対策を講じることに消極的だったのではないか、という批判があります。 国民の命や生活よりも、誤った財政の考え方を優先する ような姿勢は、多くの国民を失望させました。かつて、財務省の事務次官が「このままでは財政破綻する」といった趣旨の論文を雑誌に寄稿し、政治問題にまで発展したことがありましたが( 矢野論文問題 )、これも財務省の強硬な緊縮財政へのこだわりを象徴する出来事でした。
これらのケーススタディは、いかに財務省の持つ「財政均衡主義」や「緊縮財政」といったイデオロギーが、 日本の経済政策を歪め、国民生活に悪影響を与えているか を示唆しているのかもしれません。